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生活風景

生活風景

シラヤ族は過去四百年間、他部族との交流が盛んで、漢民族文化と早くから同化してきました。しかしながら、台湾史においては独特な文化を構成しており、ここ数年、とりわけ注目を集めるようになりました。現在では限られた歴史文献の記載から当時の生活状況を知るしかなく、彼らの伝統的な生活を再現することは不可能に近いという現実はあります。しかし、現代の文史学者の手により、シラヤ族文化の研究は進められています。

飲食習慣 動物の生食、米、お酒の醸造

シラヤ族は米を主食とし、塩漬け食品を好んだと言います。また独自の方法でお酒を醸造することも知っていました。さらに、生ものを好み、動物の肉ばかりでなく、内臓を好んで食べたと伝えられます。

シラヤ族は鹿を捕獲した際、その場で絞め、お酒と一緒に生肉を食べたと言われています。また、鹿の五臓六腑を取り出し、瓶の中で塩漬けにしたそうです。これは「膏蚌鮭」と言われ、シラヤ族の人々が最も好きな食べ物だったと言われています。

シラヤ族の人々は米を主食としていましたが、その食べ方には二通りありました。一つは「占米」というもので、現代の白飯に近いものです。もう一つは蒸籠の中にもち米を入れて蒸し、おにぎり状にして、戸外で仕事時などに携帯食とするものです。

お酒はシラヤ族の生活に欠かせない飲み物でした。文献の記載によると、お酒は二種類に分かれます。一つは「秫米」をたたきつぶし、咀嚼した米を麹にし、地面に置き、一晩発酵させ、その後、この二つを混ぜ、瓶の中に入れ、数日後酸味が出てきたらできあがりというものです。これは「姑侍」と呼ばれています。もう一つはもち米を蒸した後、麹と一緒に攪拌させ、瓶の中に入れて発酵させるというものです。長時間密閉させた後、飲むことができます。このお酒は通常、客人を接待する際に用いたと言います。

飲食習慣

刺青およ服飾品び

諸羅県志」の記載によると、シラヤ族の男性は「蝌蚪文字」や虫や魚と言った図案を刺青していたと言います。通常は年長者の協力により刺青を行い、激痛に耐えて肌に刻みます。彼らにとって刺青は「祖先に背かない」ことを意味しているそうです。

シラヤ族の人々は18世紀にはすでに漢人の服装を学んでおり、男性の多くは黒と白の二色を用いた衣服を着ていました。夏に着る袖無しの衣服を「龍仔」、冬に着る足の長さまでの羽織り物を「縵」と呼びます。

また、シラヤ族の女性は化粧せず、髪を結わずに「青布」で巻くだけです。上半身に着るものは「短衣」と呼び、襟に犬の毛や異なる色の布を用いて装飾していました。下半身は一枚の布で覆い、膝下は色つきの布をくるぶしまで巻いていました。シラヤ族の男女は花を差したり、鳥の羽を髻に差して肩まで垂らしたりするのを好みます。とくに海岸に生える「林投樹」を好み、その濃い香りの花を愛してやみません。

刺青およ服飾品び

社会習慣 婚姻、葬儀

シラヤ族の社会には婚姻に関する一定の決まり事がありました。男性は通常満20歳になったら結婚ができます。彼らの年齢の計算方法は不明ですが、長幼の序があります。文献の記載によると、ある男性がある女性を好きになったとき、母親、姉妹、または女性の友人に贈り物を届けさせます。これらの贈り物の品々を見て、もし女性側の父母が男性を気に入ったら、贈り物を受け取り、婚姻は成立します。

シラヤ族の人々は葬儀を重要視します。家の中で葬儀を行う場合、入り口に色とりどりの飾り付けをし、鐘を鳴らして親しい友人に知らせます。一般的な葬儀としては、遺体を親友の家の前に運び、親友がお酒で死者に別れを告げ、遺体を撫でながら決別の意を表すというものです。その後、遺体を家に戻し、衣服と一緒に埋葬します。また、シラヤ族の人々は棺をあまり重要視しません。多くは死者が生前に使用していた物入れを使うか、もしくは棺がなければ鹿の皮でくるみます。埋葬場所は家の床下です。

西拉雅語(シラヤ語)の復活運動-萬正雄長老

新化鎮平埔族の後裔、萬正雄長老は、台南県平埔族西拉雅文化協会会長であり、口埤長老教会の信徒で、長年、西拉雅文化の復興に力を注いできました。中でも、きわめて困難な仕事、それは西拉雅語の復活です。

萬正雄は、文建会の協力の下、西拉雅語の復活計画を展開してきました。娘である萬淑娟及びフィリピン籍の娘婿、萬益嘉とともに、十七世紀のオランダ宣教士が残した一冊の聖経を発見しました。

そこには、オランダ語がローマ字の西拉雅語に翻訳されており、これにより西拉雅語の扉が開かれ、西拉雅語の一語一句が復活していきました。古いオランダ語は難解でしたが、萬益嘉はインターネットでオランダ籍の語言学者Karlの手助けを借りながら、西拉雅語の謎を解き明かしていきました。

資料源:新化鎮公所観光旅遊ネット
図の提供源:聯合報記者 呉淑玲/撮影

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